第31回 落合恵子は「悪」が好みか

 
落合恵子のこういった大袈裟な訳語の一つからも、アン・モロウ・リンドバーグとは資質や感性において大きな隔たりがあるということがわかる。*1

現在、個人的にも地球規模であっても、世界が直面しているもっとも凶悪なる問題は、女だけとか、男だけとかいった一方の性だけで解決できるものではない。(p.153)


原文は以下の通りである。

For the enormous problems that face the world today, in both the private and the public sphere, cannot be solved by women―or by men―alone. (p.130)


「もっとも凶悪なる」とはまた何とも恐ろしい言葉を持ち出してきたものだ。
だがこれは先に指摘した 《enormity》 と同じことであり、この形容詞 《enormous》 は 「巨大な」 とか 「莫大な」 といった意味に解すべきところである。*2
どうも落合恵子には 「悪」 という言葉を軽々しく用いる傾向が見られる。また落合は 「攻撃的」 (p.58) だの 「攻撃力」 (p58) だの、 「闘い」 (p.145) だの 「革命」 (p.146) だのといった仰々しい言葉を安易に訳文に持ち込む。だがそのように物事を単純化した捉え方や粗雑で大袈裟な言葉の選択はアン・モロウ・リンドバーグとその著作には全く相応しくないものだ。


訳せば大体以下のようになるだろう。

個人的領域と社会的領域の両方において、今日の世界が直面している非常に大きな問題は、女だけでもまた男だけでも解決できるものではない。
 
 
 

1935年、アン・モロウ・リンドバーグが29歳の時に発表された彼女の最初の著作。
『海からの贈物』で説かれている簡素な生活の重要さ、断続性といった考え方は日本人にはむしろ理解し易いものであろうが、実際に彼女は若い頃から日本文化への強い関心を持っていたということをこの作品から知ることができる。そしてその中でも特に印象深い 「サヨナラ」 と題された短い文章によって、この本は日本人読者にとって特別な一冊になっている。良質な翻訳は中村妙子氏による。この翻訳が落合の様な者の手に掛かることがなくて本当に良かった。
 
 
 

*1:良かれ悪しかれ、落合は外に打って出るタイプの作家であろうが、アン・モロウ・リンドバーグは落合とはまるでタイプの違う作家であるとつくづく思う。正反対だと言ってもいい。『海からの贈物』の成り立ちにしても、著者が自分個人の問題を内側に深く掘り下げていった結果、それが広く他の人々にも通じる普遍性を持つということに著者は気づいて驚き、そうして初めて本になったのであり、そこには 「私の考えていることは他の人にとっては意味が無いのではないか」 という躊躇い、慎みがある。だが落合はそういう躊躇いとはおよそ無縁な人間であるように思える。落合は迷いなく声高に語る至って外向的な作家であって、アン・モロウ・リンドバーグの内省的な文章の翻訳にはそもそも不適任であったと私は考える。落合がこの著作から受けた感動というのもほとんどは勘違いだろう。

*2:著者は別の章で 《an enormous project or a great work》 (p.49) という表現もしており、《enormous》 がやはり否定的な意味で用いられていないことがわかる。また上に紹介した彼女の最初の著作においても 《enormous》 は使われている。日本で目にした光景を描いた箇所で、《their brown faces hidden under enormous rooflike hats of straw》 と書かれていて、中村氏はそこを 「日焼けした顔を大きな菅笠の下に隠して」 と訳している。アン・モロウ・リンドバーグはこの言葉を 「非常に大きな」 という程の意味で用いていると見てよいだろう。

 最終回 訳者あとがきに見える愚かな自己陶酔

 
率直に言って私は、原著を意図的に歪めて汚した落合の『海からの贈りもの』を少しも認めていないし、著者の言葉を蔑ろにするその愚かで身勝手な翻訳ぶりから落合恵子という作家に対して強い不信感と嫌悪感を抱いている。

落合恵子は訳者あとがきで、吉田健一訳で出版された『海からの贈物』では著者の名前の表記が 「リンドバーグ夫人」 となっていて、それがずっと気になっていたと記している。それをこの新訳に際して 「アン・モロウ・リンドバーグ」 という本来の表記に直したというのは実に結構なことだ。しかし著者の名前の表記を尊重したところで一番大事なものであるはずの著者の言葉を尊重するという考えがそもそも根本的に欠落しているのだから、一体落合は何を尊重しているのだか知れたものではない。
また落合は、著者が後年新たに書き加えた章をこの新訳で日本の読者に伝えたかったとも記している。それも大変に結構なことだ。だがその翻訳が一冊全体の中で最低の出来だという有様では、わざわざ新訳を出した意味も無い。もっとはっきり言うなら、あんなデタラメと偽りに満ちたものを著者アン・モロウ・リンドバーグの言葉として紹介するのは落合の嘘をまき散らす行為でしかなく、全く有害であり甚だ迷惑だ。
 
原文と対照して一冊を読んだ上での私の評価は次の通りだ。 落合恵子が訳した『海からの贈りもの』は、初歩的でお粗末な誤訳と日本語としてもなっていない文章、それから程度の低い文学趣味による修飾の追加、原文が理解できないと軽々しく行われる削除と加筆、そして自分のフェミニズムの立場に都合が良いようにする意図的な歪曲と改変があちこちにある。
恥というものを知らないのか、Gift from the Sea は二十数年来の愛読書だと図々しくも語る落合であるが、つまるところ落合恵子Gift from the Sea をちゃんと読んでいないし、そもそもちゃんと読もうとすらしていない。


翻訳の作業というものは著者と翻訳者との対話に喩えることもできるだろう。しかし落合恵子の翻訳ぶりから思い浮かんだのは、相手の話をちゃんと聞こうともせずに 「こういうことでしょ」 と遮っては見当外れな自分の考えばかり一方的に喋る迷惑な女の姿だ。


「訳者あとがき」を落合は次の文章で結んでいる。

翻訳の仕事をすすめながら、著者の気持ちと、こんなにもしっくりと溶け合う時間……ちょうど海とひとつになるような……を持てたことを、わたしはとても幸福に思う。

 

著者の文章を自分の好き勝手にあれほど書き変えておきながら、その挙句にこんな言葉をさも満足気に記す。
この末文を読んで感じるのは落合恵子の愚かな自己陶酔ばかりだ。断言するが、著者の気持ちとほんのわずかも溶け合ってはいない。それは落合の恥ずべき妄想に過ぎない。
 
 
 

 補遺1 落合訳らしさ

 
[まえがき] の訳文にはさほど大きな問題はないとも言えるので取上げないつもりでいたが、あらためて一冊全体の中で見るとやはりいかにもこの訳者らしい翻訳ぶりであるので、これらもやはり指摘しておくことにする。


落合恵子訳はこのようになっている。

考えが紙の上で形をとりはじめた当初、わたしは、わたしが日常の中で経験していることは、ほかの人とまったく違っていると思っていた。というのも、わたしは、ある意味ではほかの人たちよりも自由な、またある意味でははるかに不自由な日々を送っていたから。(p.5,6)


意味はこれでちゃんと通ってはいるが、どういうつもりなのか落合は原文の(Are we all under this illusion? )という文章を省いてしまっている。訳すなら(私たちは皆そういう錯覚の下にあるのだろうか)という意味の文章である。


原文は以下の通りである。

I had the feeling, when the thoughts first clarified on paper, that my experience was very different from other people's. (Are we all under this illusion?) My situation had, in certain ways, more freedom than that of most people, and in certain ways, much less. (p.3)


ここだけを見るならば有っても無くても大した問題ではないとも言えるのかもしれない。だが落合は最後の章 (p.145) では逆に、著者が書いてもいない (誰でも昔に書いたものを読めば、困惑を覚えるだろう)という文章を捏造して著者の感慨として勝手に書き加える という全く信じ難い行為もしており、ここの削除も落合の翻訳の身勝手さの一例として見ることができる。
興味深いことに、落合が削除したアン・モロウ・リンドバーグの言葉は 「誰しもそうなのだろうか」 というためらいの言葉なのだが、落合が勝手に書き加えた言葉は 「誰でもそうだろう」 という安易な決めつけである。正反対なのだ。著者を装った落合の書き加えは一見すると似ているようだがその違いは明白であり、図らずも両者の人品の違いが露わになっている。


比較として吉田健一の訳を載せる。落合のものとは違ってこちらは正確に訳されている。

そんなふうにして、私の考えが紙の上で形を取始めたのであるが、初めのうちは、私は自分が経験したことが他の人のとは違っているという気がしていた(私たちは皆そういう感じを持っているのだろうか)。というのは、私は或る意味では他の人たちよりも自由な、そしてまた或る意味ではもっとずっと不自由な境遇に置かれていたからである。(p.7)

 
 
次の訳文も間違いというのではないが、全く意味の無い比喩表現の加筆であり、全篇を通じて見られるこの訳者の悪癖の一例として指摘しておく。

わたしと同じ入り江にたたずむ人たちへの感謝と友情を添えて、ここにわたしは、海から受けとったものを、いま海に返す。(p.7)


原文は以下の通り。

Here, then, with my warm feelings of gratitude and companionship for those working along the same lines, I return my gift from the sea. (p.5)


吉田健一訳の『海からの贈物』では次のようになっている。

それで私はここに、私と同じ線に沿ってものを考えている人たちに対する感謝と友情を添えて、海から受取ったものを海に返す。 (p.9)


原文で著者は比喩的な表現などはしておらず至って直接的に記している。
「わたしと同じ入り江にたたずむ」 という一見何となく上手いことを言っているようで実は意味がない曖昧な比喩表現は、落合の程度の低い文学趣味の現れでしかない。落合は単に 「海」 というお題で比喩を作ってみたかったに過ぎないのであり、他人の著作の中に自作の下手な詩を書き足しているような恥ずかしい行為でしかない。こんなところで自分を発揮して一体どうしようというのか。(また落合は 「入り江」 がどういうものであるか理解して言葉を用いているかも疑わしい。たぶん落合はその意味するところをよくわかっていないのに雰囲気だけでこの言葉を選んでいる。)
著者が比喩を用いず簡潔に表現しているところに、出しゃばりの訳者が勝手に自分の比喩を持ち込んで訳すような行為は到底ほめられたものではない。だがここに限らず落合の『海からの贈りもの』には、原文の直接的な表現を程度の低い胡乱な比喩表現に書き変えてしまっている訳文がしばしば見られる。
 
落合は比喩で表現するのが文学だとでも馬鹿な思い違いをしているのではないのか。
 
 
 

 補遺2 宗教的な言葉を除外する

 
これも間違いというのとはまた少し違うが、落合の翻訳は著者の志向と隔たりが大きいというかむしろ正反対であるので、やはり指摘しておくことにする。

落合恵子訳は以下の通り。
落合ははっきりと、宗教的な意味なのではない、と完全な否定で訳している。

要するに、聖者たちの言葉を借りるならば、わたしはできる限り、光と共に生きていきたい。
光と共にという言葉を、宗教的な意味で使っているのではない。(p.19)


だが原文は以下の通りである。

I want, in fact―to borrow from the language of the saints―to live “in grace” as much of the time as possible. I am not using this term in a strictly theological sense. (p.17)


吉田健一はこの英文を、厳密に神学上の意味で用いているのではない、と限定的な否定として原文に忠実に訳している。(つまり、著者は宗教的な意味あいを否定しているわけではない。)

要するに、― 聖者たちの言葉を借りるならば、― 私はなるべく 「恩寵とともに」 ある状態で生きて行きたいのである。私はこの言葉を厳密にその神学上の意味に使っているのではなくて、 (p.21)

 
吉田訳のように、《grace》 は普通 「恩寵」 と訳す。
他の箇所でも指摘できることだが、落合訳の『海からの贈りもの』では原文にある宗教的、信仰的な意味の言葉がしばしば取り除かれている。(だが著者は宗教的、信仰的な意味の言葉を多く用いている。)
多くの日本の読者にとって馴染みの少ない言葉だからそれを別の言葉に置き換えるというのはわからないことではない。だが著者はここで 《not using this term in a strictly theological sense.》、「この言葉を厳密にその神学上の意味に使っているのではなくて」 とわざわざ断っているだわけから、特にこだわらずに 《grace》 は普通に 「恩寵」 と訳せば良い。キリスト教における 「恩寵」 という言葉の意味を知らないとしても、著者が言おうとする意味はその後の文章を読めばわかるように書かれている。

「恩寵」 という言葉がキリスト教に無縁な人に解りにくいのも確かだが、それを 「光と共に」 と訳したところで字画が減り言葉づかいが一見平易になって何となくわかったような気になるというだけで、理解がより深まるわけでもない。何より、解りにくいと思うのなら訳注で 「恩寵」 の説明を設ければ良い。

落合は巻末の訳注において、無理やりこじつけてこの作品と関係のないフェミニスト達の名前や著作をたくさん並べて披露しているのだが、そんなことをしている暇があるなら他にもっと説明するべきことがたくさんあるはずだ。
例えばプロティノスエックハルトジョン・ダンブレイク。彼らに関する注を付けた方が著者アン・モロウ・リンドバーグの関心がどの辺りにあるかを理解するのに遥かに資すると考えるのだが。
 
 
 

 補遺3 文脈を考えずに間違った翻訳をする

 
以下は落合恵子の訳。文脈がちゃんと読めていないからこんな訳になってしまう。

たいていの人たちは、中年と呼ばれる年代になる前に、社会で自分の椅子を獲得しようとするか、その闘いをやめてしまうかのどちらかである。そうなると、暮らしとか家とか、さまざまな人間関係とか、物質的な豊かさだとか、貯め込むことなどへの強い執着は、自分や子どもたちが生きるために闘っていた時代ほど、必要でなくなるはずである。 (p.88)


吉田健一訳は以下の通り。

大概のものは、中年になる頃までには社会で或る程度の地位を得るか、或いはそれを得ようとするのを止めるものである。そうすれば、生活とか、場所とか、他の人間とか、或いは環境とか、持ちものとかに対するあの恐ろしいくらいの執着は、自分や自分の子供たちが無事に暮らせるために努力していた時代ほどは必要でなくなるはずではないだろうか。 (p.83)


原文はこうなっている。

Most people by middle age have attained, or ceased to struggle to attain, their place in the world. That terrific tenacity to life, to place, to people, to material surroundings and accumulation―is it as necessary as it was when one was struggling for one’s security or the security of one’s children? (p.75,76)


原文を適切に訳しているのはもちろん吉田健一の訳文である。
最初の英文の骨子は、「大抵の人は中年になる頃には、社会における或る程度の地位を既に得ているか、そうでなければもうそれを得ようとはしなくなっている。」 ということだ。完了形の英文を 「獲得しようとする」 などと訳したおかしな落合の訳文では、その後の 「執着は必要でなくなる」 という文章とも意味がうまく合わなくなってしまう。
 
 
 

 補遺4 「不変」と「不動」の大きな違い

 
この「不変」という訳語の選択一つから落合恵子Gift from the Sea をろくに読んでいないということがよくわかる。

宗教的な意味における不変は、わたしたちにとって不可能に近く、しかしわたしたちにこそ、必要なものであるのだ。(p.25)


同じ箇所を吉田健一はこのように訳している。

宗教生活で常に説かれる不動ということは、私たちにはどんなに得難くて、そしてまた、なんと必要だろうか。 (p.25,26)


「不変」 と 「不動」。
この二つの訳語の差異はおそらく多くの人にとっては取るに足らない些細な違いでしかなく、こんなことに目くじらを立てる方がどうかしていると思われるかもしれない。
だが、この 「不変」 と 「不動」 という翻訳の違いは、大して違わない似たような二つの訳語からどちらを選ぶかという単なる好みの問題だろうか。翻訳者の文体の違いというだけの話だろうか。決してそうではない。落合恵子はアン・モロウ・リンドバーグのこの著作をろくに読んでいないという話だ。


原文の表現は以下の通りである。

How much we need, and how arduous of attainment is that steadiness preached in all rules for holy living. (p.22)


この章で著者アン・モロウ・リンドバーグは、回転する車輪を比喩に用いている。
四方八方、日々の生活の様々な事柄に絶えず気を配りながらもその中心は静かに安定している、そのような理想的なあり方を、車輪と車軸によって比喩的に描いている。つまりここで著者が重視しているのは、変化しない、変っていかないことなのではなく、目まぐるしい回転の中にあっても動かない安定した中心の軸を自分の中に持っているということである。

著者はまたこの本の中で、断続性 という概念を繰り返し用いている。著者が説いていることは、変化しないこと、変らないことの重要性ではない。むしろ、変化しないなどということはあり得ない、断続性が人生の本当の姿であるというのが著者の考えるところである。著者がこの本の中で述べていることから考えれば 「不変」 という訳語の選択は全く不適切で、有り得ないものなのだ。厳しい言い方をするが、ここで「不変」 という訳語を用いているということは、落合恵子は著者の述べる 「断続性」 について満足に理解していないということであり、もっと言えば落合はこの本をごく表面的にしか読んでいない、自分の都合でしか読んでいないということを露にしている。


あるいは旧訳の吉田健一と同じ言葉を避けたいという意識が、「不動」 ではなく 「不変」 という訳語を落合に選ばせたのかもしれない。しかし原文の述べるところをできる限り伝えようと考えるなら、言葉に対しての個人的な好みは後に廻して訳語を選ばなければならない。*1 他人と違ったところを見せたい、自分らしさを出したいと考えようが、訳語としてそれより他に適当な言葉が考えられなければ、やはりそれを使うべきなのだ。だが落合恵子という人間はそれができない。

ただ落合のこの訳は、一冊全体の中で見れば間違いなく誤訳なのだが部分的にここだけを取り出して見た場合なら誤訳とは言えないというあたりで、正直なところ、ここまで取り上げなくてもと思わなくもない。だが著者アン・モロウ・リンドバーグの気持ちと溶け合うことができたなどとうぬぼれて陶酔しているような人間であれば厳しく見ないわけにはいかない。*2

落合はもっと丁寧にそして何よりもまずエゴを抑えて、原著に虚心に向き合って翻訳を行うべきなのだ。もしそれができればきっとたくさんの 「新しい発見」 を本当に得られるだろう。*3
もはや手遅れだろうが。
 
 
 

*1:落合には、言葉の意味をよく理解してないまま字面や響きやうろ覚えの曖昧な印象から安易に訳語を選択する悪癖がある。そのため参考になる訳文が既にあってもそれを間違った方向に書き変えてしまう。

*2:訳者あとがき (p.159)

*3:訳者あとがきで、「原書と照らし合わせて翻訳をすすめる中で、たくさんの 「新しい発見」 もあった」 とも落合は語っている。歪曲や捏造をまさか 「新しい発見」 と呼ぼうとは。その厚顔さには全く恐れ入る。 翻って私の場合を言えば、落合の『海からの贈りもの』に躓いたことで原著と吉田健一の訳文を精読することになり、その結果それこそ多くの新しい発見を得ることができた。もし落合がこの新訳を出していなかったら Gift from the Sea をここまで読み込むことはなかった。それは間違いない。その意味に限って落合には感謝をするべきかもしれない。「他山の石」 という言葉も実感を伴ってよく理解することができた。

 補遺5 《mind》を「頭」と訳す吉田健一訳『海からの贈物』の質の高さ そして落合恵子の愚かさ

 
ことさらに吉田健一の翻訳を称揚するつもりもないのだが、原文と照らし合わせながら吉田健一の訳文と落合恵子の身勝手で程度の低い訳文を比較してつぶさに読んでいくと、やはり両者の翻訳には歴然としたレベルの違いがあるということ、そして何よりそもそも翻訳の仕事に向かう心構えが全く違うということを認識させられる。
ここでは吉田訳の的確さを示す例を一つだけ取り上げて紹介しようと思う。
この吉田健一ならではとも言える、一見意外に思える訳語の選択から、単なる読みやすさや表面的なわかりやすさだけの翻訳などとは別物の、著者の原文を深く理解していなければ為し得ない翻訳というものが見えてくるだろう。

 
まず落合恵子の訳文の方から引用する。
この部分だけを読めばとても読みやすくわかりやすい良い訳文にすら見えるだろう。それで困ったことにこういうものに感銘を受ける人間まで出てきてしまう。

「変わらずにあるのは、心の生活だけである」 とサン・テグジュぺリは言っている。 (p.116)

 
落合のこの訳文を読んだ読者は、サン・テグジュペリが 「変わることのない心の生活こそが大切なのだ」 と説いているのだと、「物質的なものは儚く、ただ心の生活だけが不変で確かなものだ」 と説いているのだと思ってしまうことだろう。
だがサン・テグジュペリ、あるいは著者アン・モロウ・リンドバーグが述べていることはそういったありがちで凡庸な見解なのではない。全く違う。
実は落合はこの箇所の翻訳で原文の最も重要で本質的な部分を削除しており、残りの重要ではない部分しか訳していないのだ。

 
ではなぜ落合恵子は原文の最も重要な部分を削除してしまったのか。
原文と落合の訳文から推測すると、次のような経緯であった可能性が高い。
落合はアン・モロウ・リンドバーグの原文の意味を読み取ることができず、原文に従った形で訳文を作ることができなかった。そのまま全部を訳していると意味がよくわからないおかしな訳文になってしまう。そこで落合は自分が理解できたと思った部分(実は少しも理解できていないのだが)だけを訳し、自分が理解できなかった(本当は最も重要な)残りの部分は削除することにした。
落合は、自分が理解できない部分は削除して訳文の辻褄を合わせるという全く安易でそして最も愚かな解決策を選んだのだろう。身勝手な自分の都合で原文を無かったことにしたのだろう。上手く訳すことができないのは自分の読解力が足りないからだ、自分が至らないからだ、という考えがそもそもないから逆に著者の文章の方を削除するなどという傲慢で野蛮な行為ができるわけで、落合恵子は原著に対する敬意や畏れや謙虚さといったものが欠落していると言う他はない。*1


 
アン・モロウ・リンドバーグの原文は以下の通りである。落合恵子はこの原文の赤色部分だけしか訳しておらず、残りは全て削除している。

The life of the spirit,said Saint-Exupéry, “the veritable life, is intermittent and only the life of the mind is constant . . . . (p.99)
  

原文が理解できずに窮した落合は、よりによって原文の一番重要な部分、《The life of the spirit, the veritable life, is intermittent》 という部分を削除してしまっているのだ。
《veritable》 とは、「本当の、真実の」 という意味である。
*2
 
 
吉田健一はこれを以下のように訳している。少し長く引用する。

精神の生活、真実の生活は断続的であって、いつもあるのは頭の生活だけである、……」 とサン=テグジュペリは言っている。 「精神は、……明視と盲目の間を往復する。……ここに、自分の農園を愛している一人の男があるとして、その男にその農園が、互いに何の関係もない幾多の物体の集まりにしか思えないこともある。また、自分の妻を愛している男がいても、彼がその愛に邪魔や束縛だけを感じる瞬間もある。また、音楽を愛する男がいるとしても、どうかすると音楽が彼の胸まで届かずにいる。」 (p.108)


「断続的であること」、「断続性」、《intermittency》 Gift from the Sea における重要な概念の一つである。ここでは、断続性が人間の生の実相であるということ、例えば物事への愛着にせよ誰かとの親密な関係にせよそれが少しも変わらない状態でずっと永続するということはあり得ず、途絶えたりまた時に戻ったりするような断続的なあり方が真の姿であるということが述べられている。著者は、精神の生活、真の生活は断続的なものであり、永続・不変なものではない、と述べているのだ。
 
そして驚いたことに、吉田健一はその後の 《mind》 を 「頭」 と訳している。《mind》 は 「心」 だと覚えている者には 「頭」 という訳は全く選択肢に無いもので、おかしいのではないかと思ってしまうだろう。
だがこの英文は実はそう訳してこそはじめて意味が通り理解が可能になるものであり、「真実の生活は断続的なものであって、我々には永続性というのは観念的にしかあり得ない。頭でそう考えているだけなのだ。」 という意味に解することが可能になる。 そうして著者アン・モロウ・リンドバーグが述べる断続性の概念がより理解できることになる。著者はすぐ後にそのことをより具体的に、「我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛している訳ではない。そんなことはできなくて、それができる振りをするのは嘘である。」 とも述べている。
しかしここで 《spirit》 を 「精神」 と訳し、次いで 《mind》 をただ習慣的に 「心」 と訳してしまうと 「精神の生活は断続的であって、変わらずにあるのは、心の生活だけである」 となってしまい、意味がよくわからない文章になってしまう。日本語の 「精神」 と 「心」 では明確な対比にならないからだ。*3
 
このような次第で、落合は意味が通らない不出来な訳文の辻褄を合わせるために、自分が理解できなかった本当は最も重要な箇所を削除することにしたのだろう。その結果、著者の断続性という考えからまるでかけ離れた落合スタイルの “読みやすくわかりやすい訳文” ができあがった。「変わらずにあるのは、心の生活だけである」 という訳文はサン・テグジュペリの言葉ともアン・モロウ・リンドバーグの考えとも全く違うものであって、落合自身の 「やはり大切なのは心なのだ」 というような漠然とした素朴な考えを表明しているに過ぎない。
 
《mind》 は一番はじめに覚えるようなごく基礎的な英単語であって、落合でなくとも何の疑いもなく即座に 「心」 と訳すのが普通だろう。では吉田健一の 「頭」 という訳は突飛な訳語だろうか。だが、英語 《mind》 の意味するところと、日本語の 「心」 の意味するところはやはり違っている。同じではない。むしろ二つの言葉の意味が重なり合う範囲は意外に狭いのだ。
日本語の 「心」 は、「優しい心」 や 「心を込めた」 などの用例のように、「気持ち」 とか 「心情」 の意味合いが主であるのだが、それに対し、《mind》 の主な意味合いは実はむしろ 「思考、考える力」 である。日本語の 「心」 に比較して、《mind》 は「知性や知能の能動的な働き」 といった意味合いが強いと言える。もちろんこの場合、《mind》 を 「頭」 とするのは実に適切な訳語の選択である。
 
とはいえ吉田健一《mind》 を 「頭」 と難なく訳しているのは彼が単語の意味と文脈の意味を深く理解していたから為し得たことであって、吉田健一落合恵子、両者の素養に到底比較にならない大きな懸隔があることを考えてみれば、ここまでのことを 『海からの贈りもの』 の訳者に求めるのはそもそも無理な注文であるかもしれない。
 
 
 

*1:意味が読み取れない原文は削除しても別に構わないと落合は高をくくっているわけだ。思い上がりと言う他はない。

*2:《the life of the spirit》 が真実の姿であるというのだから、当然それに対する 《the life of the mind》 は真実の姿ではない、ということである。落合は真実でない方だけを訳して、肝心の真実である方を削除してしまっているのだ。そうして “読みやすくわかりやすい” 間違った訳文が出来上がっている。この訳文の “わかりやすさ” は落合の読解力の低さがもたらした皮肉な結果である。

*3:「精神の生活は断続的であって、変わらずにあるのは、心の生活だけである」 と訳してみても、日本語の 「精神」 と 「心」 では明確な対比を成さないので、これでは著者の文章がどういう意図なのか理解することができない。それで落合は前半の英文を無かったことにしたのだろう。 翻訳に間違いはつきものであり誤訳が出てしまうのは当然のことで、それは仕方がない。だが落合がやったことは単なる間違い、誤訳ではない。私はやはり落合の翻訳の態度に誠実さや謙虚さを見出すことが到底できない。むしろ落合は著者よりも自分の方が上だとでも思っているのではないか。そうでなければこんなことはできないだろう。

落合恵子のフェミニズムによって歪められた翻訳

 

原著の英文、それに新潮文庫の旧訳と比較しながらこの新訳を何度も読んだが、英文読解力の低さによる誤訳が多いだけでなく、何よりも訳者である落合恵子が意図的に書き変えた明らかに原文の意味と異なる身勝手な改変、歪曲、加筆などが多い。
全体として、落合のいびつなフェミニズムが露骨に影響した、たちが悪い翻訳になっている。

例えば原文には、"why the saints were rarely married women." とあって、「なぜ女の聖人たちが、まれにしか結婚をしていなかったか」 と訳すべきところだが、落合のフェミニズム的解釈にかかると、「なぜ、社会的に目覚しい活動をした女たちが、まれにしか結婚をしていなかったか」 (p.26) となってしまう。
どうやら落合の中では、 「女の聖人」 とは 「社会的に目覚しい活動をした女」 という意味であるらしい。

また例えば、"Patience, patience, patience, is what the sea teaches." とあって、当然 「海は忍耐を教える」 と訳すべきなのに、落合は著者が3回も繰り返している "patience" を 「柔軟性」 と勝手に書き変えて、「海は柔軟性こそすべてであることを教えてくれる。」 (p.13) と著者の考えとまるで違うことを書く。
なるほど読者の大部分は女性であるこの本、女性たちに忍耐を説くなど落合のフェミニズムが許さないのだろう。この "patience" は著者が度々用いている重要な言葉であるが、「忍耐」 と適切に訳された箇所は一つもない。

さらに、"modern extrovert, activist, materialistic Western man" とあって、訳すなら 「現代の、外向的で行動主義的、物質主義的な欧米の男たち」 といった辺りだが、一体落合は何の恨みがあるのか、「現代の、外側にエネルギーを発散させるだけの、攻撃的で、即物的な欧米の男たち」 (p.58) などと著者が書いてもいない非難を書き込んでいる。
「外側にエネルギーを発散させるだけ」 だの 「攻撃的」 だの、アン・モロウ・リンドバーグの文章のどこにそんな低劣な言葉があるというのか。
「攻撃的」 なのは落合自身ではないか。浅はかさに呆れる。

そして英文読解力を疑わせる例を挙げれば、"very brief duration"、「とても短い期間」 と解されるごく簡単な英文を、なぜか 「単調な持続を重ねるだけの日々」 (p.148) と意味不明な "ポエム" に仕立ててしまう。
まして、"haven" を 「天国」 (p.55) と誤訳したり、"rock" を 「封鎖」 (p.146) などと誤訳している辺りは余りにお粗末で話にならない。
大学は英米文学科でさらに英語部にも所属していたそうだが、ならばこのレベルの低さはどう考えたらよいのか。

 

ここでの指摘はこれくらいにしておくが、上記のような翻訳の問題点は他にもまだ幾つも挙げることができる。
特にひどいのが、著者が二十年後に新たに書き加えた章の翻訳で、落合はそれをこの新訳で日本の読者に伝えたかったと立派なことを言っているのだが、残念ながらそれは間違いだらけデタラメだらけという有様だ。新潮文庫の旧訳にはこの章は入っていないので、お手本に頼ることができず誤訳が頻発してしまった、しかしまた比較して読まれるという心配もないので心置きなく落合流フェミニズムの 「翻訳」 を行った、ということだろうか。これではわざわざ新訳を出した意味などない。もっと言えば、こんな偽りと誤りに満ちたものをアン・モロウ・リンドバーグの言葉として紹介されては有害であり迷惑だ。

旧訳の 「リンドバーグ夫人」 ではなく 「アン・モロウ・リンドバーグ」 という独立した女性個人の名前でなければと言って、このフェミニストの翻訳者は著者名表記の正しさに関しては強いこだわりを見せるのだが、著者の言葉を正しく伝えるという考えは持ち合わせていないらしく肝心の原文を自分の主義主張の為に好き勝手に書き変えておいて全く平然としていられるのだから、どこかが歪んでいるとしか言い様がない。そしてそんなことをしておきながらぬけぬけと、このアン・モロウ・リンドバーグの著作は私の長年の愛読書だ、などと言ってのける。ではなぜその愛読書を汚す行為を平然と行えるのか。無自覚な傲慢さとでも言おうか、落合は翻訳者としての誠実さや謙虚さが欠落していると言わざるを得ない。

この新訳の愛読者や落合ファンにはこれらの指摘は不愉快に違いなく、そういう人たちが冷静に事実を受け入れることは難しいだろうが、落合の翻訳ぶりに問題が多いことは否定のしようもない明白な事実であって、著者と原著への敬意を欠いたこのような翻訳がいまだに罷り通っているというのは恥ずべきことだ。駄目押しをするが、単に気がつかずに誤訳をしてしまった、という問題ではないのだ。定評のある新潮文庫の旧訳を何度も読んでいると自ら言っているわけで、落合恵子は完全に承知の上でこのような愚行を繰り返しているのである。
「たちが悪い」 と言うのはそういうことだ。

訳者あとがきではずいぶんと御満悦の様子で、「著者の気持ちと、こんなにもしっくりと溶け合う時間……ちょうど海とひとつになるような……を持てたことを、わたしはとても幸福に思う。」 などと自分に酔っているが、溶け合ってなどいるわけがない。
思い上がりも甚だしい。自分の身勝手な言葉を優先させて著者の言葉をないがしろにした人間がよくもこんな図々しいことを言えたものだ。
もし落合に恥を知る心がまだわずかでも残っているなら、著者アン・モロウ・リンドバーグへの無礼を詫び、この身勝手でデタラメな訳文を改めるべきだ。
 
この名著を大切にしたいと考えるなら出版社も落合ではなく他にもっと相応しい訳者を選べたはずで、たとえばもし須賀敦子さんが訳していたなら、このような恥ずべき代物ではなく本当に読み継がれるべき翻訳が生まれていたことだろう。
 

 アン・モロウ・リンドバーグ

 
アン・モロウ・リンドバーグ1906年-2001年)はアメリカの作家であり、また航空機の黎明期における女性飛行家としても知られている。*1

1906年6月22日、ドワイト・ホィットニー・モロウ、エリザベス・カッター・モロウ夫妻の次女としてニュージャージー州に生まれる。
父親のドワイト・モロウ (1873年-1931年) はその晩年、1927年より駐メキシコ大使を務め、1930年には上院議員に選出された人物であり、第30代大統領クーリッジの友人でもあった。母親のエリザベス・モロウ (1873年-1955年) は詩人・作家として活動し、また代理という形であるとは言え1939年から1940年までのあいだ母校であるスミスカレッジの学長を務めたような人物だった。同校において女性がこの職を務めたのは初めてのことだったという。
アンの両親はこのような人たちであって、彼女は経済的な面でも教育的な面でも極めて恵まれた家庭環境に生まれ育ったと言える。母親と同じくアンもまたスミスカレッジを1928年に卒業した。

アンには姉が一人、下に妹と弟がいて、三人姉妹の次女だった。その辺りを翻訳家の中村妙子氏は次のように記している。

美貌の姉と才気煥発な妹の二人のあいだにはさまれて生い育ったアンには、彼女自身がこの本の 「まえがき」 に書いているような、 「場違いなところに顔を出して、名も知られずにぎこちなく佇み、紹介されるときを内気そうに待っている人間」 にありがちな、自意識過剰の気味がありました。 *2

この文章はアンがどのような少女であったかを示唆している。おそらく彼女は、後に自分が飛行機を操縦するような女性になるとは思いもしていなかっただろう。*3
 
今日では代表作である Gift from the Sea 、 『海からの贈物』 の著者として知られるアン・モロウ・リンドバーグであるが、彼女の名が最初に世に知られたのは、当時おそらく世界で最も有名な人間であったリンドバーグ大佐、チャールズ・オーガスタス・リンドバーグの妻としてであった。
チャールズ・オーガスタスリンドバーグ1902年-1974年) は1927年5月21日に単独での大西洋無着陸横断飛行を史上初めて*4成し遂げ、一躍世界的な名声を得ていた。その同年の12月、大使として任地にあったドワイト・モロウの招待を受けてチャールズ・リンドバーグはメキシコを親善訪問する。*5 その地で彼はアンと出会い、のち1929年5月に二人は結婚した。夫妻は生涯で6人の子供を授かった。*6

結婚後、アンは飛行機操縦に関する知識と技術を学び、副操縦士としてまた通信士としてチャールズの飛行に同行するようになる。*7 その体験をもとに最初の作品である North to the Orient1935年に発表し、作品は高評を以て迎えられた。次いで1938年Listen! the Wind を発表する。

彼女の代表作となった内省的エッセイ Gift from the Sea1955年に出版されると本国でベストセラーになり、また多くの言語にも翻訳されてなお長く読み継がれている。 
 
 
参考 
Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Morrow_Lindbergh
http://en.wikipedia.org/wiki/Gift_from_the_Sea
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Lindbergh
http://en.wikipedia.org/wiki/Dwight_Morrow
 

スミスカレッジによるエリザベス・カッター・モロウの紹介記事。
"Her largest contribution, however, was her role as acting president for the interim year, 1939 – 1940, after the resignation of William Neilson as president in 1939."
blogs.smith.edu

 

スミソニアン航空宇宙博物館によるアン・モロウ・リンドバーグの紹介記事。
"Anne Morrow Lindbergh was an accomplished pilot and author. In 1929, she became the first woman in the US to earn a glider pilot's license. The following year, she served as navigator on a transcontinental flight with her husband, Charles Lindbergh, which set a new speed record. Morrow Lindbergh earned her private pilot's license in 1931."
airandspace.si.edu
 

Air and Space Magazine/ "The plane that taught Anne Morrow Lindbergh to fly is flying again."
アン・モロウ・リンドバーグが実際に操縦した複葉機Brunner-Winkle Bird が修復されて数十年ぶりに再び空を飛んだ、という記事。
www.smithsonianmag.com
 

Virginia Aviation Museum/1929 Brunner-Winkle "Bird", BK
上記の Brunner-Winkle Bird についてのヴァージニア航空博物館の記事。
"Charles Lindbergh of New York to Paris fame was so impressed with the aircraft that he bought one for his wife, Anne Morrow Lindbergh. " チャールズ・リンドバーグはこの複葉機が非常に気に入って、アンのために購入したと記されている。リンク切れ。現在は閉館したと思われる。
http://eaa231.org/Museum/Brunner-Winkle/Brunner-Winkle.htm
 

根室市HP/リンドバーグの大西洋横断、北太平洋横断の航路 
www.city.nemuro.hokkaido.jp

 
ウィキペディア/スミス大学
由緒のある名門私立女子大学であるらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E5%A4%A7%E5%AD%A6 
 
 
 

*1:「飛行家」 というのは 《aviator》 の訳語と考えている。「操縦士」、《pilot》 とはまた少し意味合いが異なる。空を飛ぶことがまだ組織や業務に属していない古き時代の、といった感じ、あるいは開拓や冒険や自由といったイメージが 《aviator》 にはあると言える。また、《pilot》 は職業であるが 《aviator》 は職業ではない、という言い方もできるかもしれない。

*2:『翼よ、北に』 みすず書房 「訳者あとがき」 より。上記 North to the Orient の邦訳。

*3:チャールズとの結婚がなければおそらくアンは飛行機を操縦することはなかっただろう。2009年の映画『アメリア 永遠の翼』でその生涯が描かれたアメリア・イアハートなど、アメリカには女性飛行家の先駆けと呼ばれる人が多数いるのだが、女傑と言うようなタイプの女性飛行家とはアンはまた違っているように思える。

*4:交代なしの一人の操縦、途中の着陸や着水もなしという条件下で、ニューヨークからパリまで大西洋を横断飛行することに初めて成功した。単独や無着陸などを問わないのであればチャールズ・リンドバーグ以前にも大西洋横断飛行には成功例がある。

*5:J.P.モルガン&Co. 勤務時代、ドワイト・モロウはチャールズ・リンドバーグのフィナンシャルアドバイザーだったとウィキペディア英語版に記されている。

*6:このうえなく恵まれた人生にも思えるが、彼女はまた大きな悲劇にも見舞われた。1932年3月、夫妻の初めての子供であったまだ一歳のチャールズ・リンドバーグ・ジュニアが誘拐される事件が起きる。誰もがその名を知る著名人が狙われた犯罪はマスコミの格好の好餌となり、事件は好奇の眼を以て連日のように取沙汰された。二か月後、痛ましくも夫妻の長男は遺体となって発見される。 その後犯人とされる人間が逮捕され事件は一応の決着を見せたが狂騒は収まることはなかった。1935年の暮れに夫妻は密かにアメリカを離れ、1939年に帰国するまでヨーロッパで過ごした。

*7:2014年7月現在、ウィキペディア英語版を始めとしてグライダーのライセンスをアメリカ人女性として初めて取得したとしか書いていない記述がほとんどだが、上記の参考記事からプロペラ機のライセンスも持っていたことがわかる。スミソニアン航空宇宙博物館の記事を読むと、グライダーのライセンス取得が1929年、1931年にプロペラ機のライセンスを取得したということらしい。

 Gift from the Sea  『海からの贈物』

 
Gift from the Sea は1955年に発表された、アメリカの女性作家 アン・モロウ・リンドバーグの代表作である。
今日とは違って飛行機で空を飛ぶことが特別なことであった時代において、アン・モロウ・リンドバーグとはまず世界的に有名な飛行家リンドバーグ大佐の妻であり、そしてまた彼女自身もまだ世に珍しい女性飛行家であるという作家であった。
しかしこの原著で120ページほどの小品は彼女がそれまでに発表した作品とは大きく趣の異なるもので、そこには有名な飛行家の妻もまた女性飛行家も姿を見せることがない。彼女がコネティカットの自宅を離れて休暇をすごした海辺でのささやかな体験を端緒とする静謐な思索のみが綴られている。
この著作が多くの読者を得ようとは著者も予想だにしていなかったことが序文から読み取られるが、図らずも本書はアメリカでその年のベストセラーとなり、また日本では早くも一年後の1956年に新潮社から『海からの贈物』の邦題で出版された。
 
以下の文章は、その訳者吉田健一による訳者あとがきである。Gift from the Sea のもう少し詳しい紹介としてこれを引用する。
 

 本書の著者は、大西洋横断飛行に最初に成功したので有名なリンドバーグ大佐の夫人で、他にも著作が幾つかある。夫人自身も、世界の女流飛行家の中では草分けの一人であり、また今度の大戦の後ではヨーロッパに渡って、フランス、ドイツなどの罹災民の救援事業に挺身し、戦災を受けた各国の状況に関する貴重な報告書を出している。
 しかし本書には、著者のそういう経歴については何も書いてなくて、ここで語っているのは経歴などというものを一切取捨てた一人の女であり、また一家の主婦であって、語られているものは、その女が自分自身を相手に続けた人生に関する対話である。一人のアメリカ人の女と言い直す必要さえなくて、ここでは、現代に生きている人間ならば誰でもが直面しなければならない幾つかの重要な問題が、著者の生活に即して、というのは、世界のどこに行っても今日では大して変わりがない日常生活をしている一人の人間の立場から、自分自身に語り掛ける形で扱われている。現代社会とか、世界平和とかいう大きな問題がいかに我々の生活と密接に結び付いているかを本書は示しているばかりでなくて、そういうものが凡て我々の生活を出発点にしているという我々が忘れ易い事実を、著者が瞬時も見逃さないことが、この『海からの贈物』にこれだけの説得力を与えているものと思われる。
 機械化とか、物質文明とかいうことが常に言われているアメリカにこの種類の名著が現れたのは不思議に感じられるかも知れない。しかしそれは、人間が外部からの圧力に対して全く無力であるという現代の迷信に属した見方であることを、本書の著者自身が誰よりも先に指摘するに違いないのである。

 
『海からの贈物』はのち1967年に新潮文庫の一冊として出版され、原著同様に版を重ねて今もなお読み継がれている。
 

 
 

 

 些細な誤訳の指摘などではない

 
傍目八目という通りで翻訳の間違いも傍から見た方が目につき易いに決まっている。そんな間違いを言い立てて得意になっているわけではない。骨折り仕事を誰に頼まれたわけでもなし誤訳の指摘というのは多くもとの本への傾倒愛着故の已むに已まれぬ所業である。よくよくのことだ。

それ故とかく指摘は細かく語調は苛烈になり易い。世の誤訳指摘を見るにつけまた我が身を省みても思う。ひどい誤訳が目に余り怒りに駆られれば「坊主憎けりゃ」で何から何まで髪型まで気に食わなくなる。あのおかしな「、」の打ち方さえ癪の種だ。何故あんな身勝手な捏造や歪曲が平然とできるのかと憤れば勢い人間性を詰る調子にもなる。正直「馬鹿野郎いい加減にしろ」と言いたいのだ。いや馬鹿女か。


だがそうまでなると事情を解さぬ輩からは些細なことのあげつらいに血眼になっているだけにも見えるようで「辞書どおりに訳すのが正しいのだろうか」とか一見もっともらしいたわ言を言い出す分別顔の手合いも出てくる。終には評判へのやっかみだなどと言われかねない。「有名税」とはよくも言った。声を上げていきり立つ者は小人で鷹揚として取り合わないのが大人というわけだ。

誰でも誤訳はする、お互い様だ、それなら自分で訳してみればいいなどと言う。一冊訳せば誤訳の数は両手で済まないなどと言う。挙句は百人が訳せば百通り、果ては全ての翻訳は誤訳であるなどと言い出す。なるほどそうに違いない。だがそれだけにこうした弁えた風の言い種には大した意味も無い。

単なる間違いが許せないのではない。承知の上でまるで意味の違う言葉に変えてしまう図々しさ、日本語としても意味が通らないおかしな誤訳を気にも留めない鈍感さが我慢ならないのだ。勿論訳せばそれぞれで皆が全て同じに成る筈もないが振れる余地のない大筋というものは有るはずだ。
翻訳物が「みんなちがって、みんないい」わけがない。 
 
 
 

 『海からの贈物』を英語原文で読みたい人のための手引き

 
ページ数は2005年版 Pantheon Books のものです。
同じ単語も繰り返し載せています。
英語での説明は Merriam-Webster の Essential Leaner's English Dictionary によります。

 
p.4
contemplative corner of their own   落ち着いて考えるための自分の場所

porcelain perfection   磁器のような完璧さ

simultaneously   同時に

imperturbably   心を乱されることなく、冷静に ( perturb 混乱させる、心をかき乱す)


p.5

companionship   親交、友情


p.9
discipline   訓練、修練



 THE BEACH
p.10
unblemished   汚れのない

primeval   太古の

heron   鷺(サギ)

drown out   (大きな音が小さな音を)かき消す

hectic   興奮した、多忙な、慌ただしい

time tables and schedules  時刻表や予定表

prone   うつ伏せになった

scribbling   落書き、走り書き

lazy   だるそうな、もの憂げな、ゆったりとした


p.11
anxious   切望している、心配している

greedy   欲張りな、貪欲な

impatient   せっかちな (patience 忍耐、我慢)



 CHANNELLED WHELK
p.15
whelk   ある種の巻貝の総称

deserted   人が住まなくなった、見捨てられた

snail-like creature   カタツムリに似た生き物

temporarily   一時的に、ある時期の間

occupant   居住者

hermit crab   やどかり ( hermit 隠者)


p.16
architecture   構造

apex   頂点

criss-cross vein   十字の筋

outer circumference   外周

diminutive   小さな、ちっぽけな

staircase   階段

blurred with moss   苔で輪郭のぼやけた

knobby   ゴツゴツした、こぶが沢山ついた

barnacle   フジツボ


p.17
I have also a craft, writing,   私には物書きという仕事もあって、

obligation   義務、責務

grace   神の恩寵

term   (専門分野での)術語、用語

in a strictly theological sense   厳密に神学上の意味で

Phaedrus   プラトンの著した哲学書パイドロス


p.18
vague as this definition may be   この定義は漠然としているにしても

as if borne along on a great tide   大きな潮流に運ばれているかのように

cultivate   (精神、技芸、品性などを)練磨し向上させる

conducive to…   …の助けとなる


p.19
foster   促進する

household drudgery   家事

car-pool   通勤や子供の送り迎えの際に順番を決めて車の相乗りをしていくこと *1


p.20
mending   衣類の補修、繕い物

hither and yon   あちこちへと

premise   前提

political drives   政治運動

charitable appeals   慈善活動

reel   めまいがする、ふらつく

trapeze artist   空中ブランコ曲芸師

multiplicity   多数、数が多いこと

unification   統一

fragmentation  分裂


p.21
enviable   うらやましいと思われる、妬まれるような

precarious   不安定な、危なっかしい

though we are faced with it now in an exaggerated form *2
現代の私たちは極端な形においてそのことに直面しているとはいえ、

pitfall   落とし穴、陥穽


p.22
Plotinus   プロティノス古代ローマ時代の哲学者

inherent   本来の、生来の

achieve   達成する

contradictory   矛盾した

arduous   困難な、苦労の多い

attainment   達成、到達

contemplative   瞑想する人(名詞)、瞑想的な(形容詞)

inviolable   侵害できない


p.23
has nothing inherently to do with…   本質的には…と全く関係がない

chastity   純潔、禁欲

distraction   気が散ること

bearing   子供を生むこと

rearing   子供を育てること

myriad    無数の、幾千もの

woman's normal occupations   女性の普段の仕事

run counter to   逆行する、相反する

retirement   隠遁、世間との交わりを絶って隠れ住むこと

permanently   永久に、ずっと

inhabit   住む


p.24
desert island   無人島

nun   修道女

renunciation   放棄

pendulum   振り子

retreat   退却、後退

superficial clue   表面的な手がかり

shedding   shed (木から葉が自然と)落ちる、(動物・昆虫が)脱皮する

get along with…   …と仲良くやっていく、折り合っていく

hem   衣類のへり、すそ


p.25
vanity   虚栄心、虚飾

airtight   気密性の高い

plumbing   水道設備、水回りの配管

to speak of   言うべきほどの

Martha-like anxiety   マルタのような焦り、気苦労 (ルカによる福音書10章38-42節


p.26

hypocrisy   偽善

exhaust   へとへとに疲れさせる、消耗させる

insincere   本音を言わない、上辺の応対をする

disparity   差異、相違、不等

were treated atrociously   酷い扱いを受けた

extraordinary   普通でない、途方もない


p.27
serenity   心の落ち着き、平静

unfinished   仕上げがされてない

beam   建物の梁(はり)

cobweb   蜘蛛の巣

rafter   建物の垂木

forbidding   近づくのを拒むような、険しい

cramp   締めつける、拘束する

enclose   取り囲む、囲い込む

driftwood   流木

worn   すり減った (wear の過去分詞)

trail   這う、引きずる

vine   植物のつる


p.28

floppy   (衣服などが)だらりと垂れた、ペラペラした

red-tipped   先端が赤い

conch shell   ほら貝などの大型の巻貝

faintly   かすかに

reminiscent of …   …を思い出させる

propped up   立て掛けた   

periscope   潜望鏡

sedentary base

sand dollar   かしぱんウニ

necessities and trappings of daily life


p.29

clue   手がかり

spiral staircase   らせん階段



 MOON SHELL
p.33
snail shell   かたつむりの殻、巻貝 *3  

horse chestnut   セイヨウトチノキの実

opaque   不透明の

ripening to rain   雨が降り出しそうな

symmetrical   ?対称の、均整のとれた

pencil   鉛筆で書く

with precision   正確に

tiny   とても小さい

apex   頂点

pupil   瞳、瞳孔


p.34
solitary   たった一つの、唯一の

replete with…   …を十分に備えている

brush   かすって通る,疾走する

immediacy   直接性

serene   静かな、落ち着いた

intrude  侵入する、押し入る

reverence   尊敬、敬意


p.35
giddy   めまいがする、くらくらする

wallflower panic   パーティーでダンスに誘われないことへの不安や恐れ

clinging   貼り付いている、しがみついている

void   空間、空隙


p.36
parting   別れ、別離

inevitably   必然的に、不可避的に

amputation   手足などの切除

incredibly   信じられないくらいに

precious   貴重な、尊い


p.37
gull   かもめ

pier   桟橋、波止場

sandpiper    シギ科の鳥の一種

hunch   背中を丸める

grouchy   不機嫌そうに

canticle   聖歌

praise   賞讃、褒め称えること  

cathedral   大聖堂  

praise ye the Lord   汝ら主を讃えよ


p.38
stony   石ころだらけの、石のように冷たい 

estrange   疎遠にする、遠ざける

arid wastes   不毛の荒野

nourish   栄養を与える  

sooth   慰撫する、いたわる、なだめる

spray   水しぶき

drenched   びしょ濡れの

drugged   意識がもうろうとした

reeling   よろめくように歩く

brim   皿やカップの縁


p.39
nibble   すこしずつかじること、ほんの少しの量

lip   カップなどの縁、へり

the Psalmist   旧約聖書の「詩篇

runneth over   あふれる( runneth runs の古い言い方)

perpetually   絶え間なく、永遠に  

instinct   本能

nourisher   養い育てる人、物

immediately   すぐに、即座に 

driblet   液体の滴、少量、少額   

resent   憤る、恨む


p.40
no raise from the boss   上司が給料を上げることがない

hit the mark   命中する、成功する

cat's cradle   あやとり   

tangle   もつれ

chore   雑用、面倒で骨が折れる仕事

errand   用事、お使い


p.41
laundromat   コインランドリー

apt to…   …しやすい  

deplete   使い尽くす、枯渇させる  

indispensable   欠くことのできない dispense→dispensable→indispensable

compulsive   強迫的な、何かにとりつかれたような  


p.42
replenish   再び満たす、補給する


p.43
be convinced   納得する、確信する

conviction   確信、信念

negative atmosphere   否定的な雰囲気

pervasive   普及している

enervating   気力を奪う

humidity   湿気、湿度

inexplicable   説明できない、不可解な 

rude   失礼な、不躾な


p.44
tap   

strand   より糸


p.45
privilege   特権、権利

ignorant   無知な


p.46
garner   穀物などを収穫して蓄える、努力して得る  

drain our creative springs   私たちの創造の泉を空にする

indiscriminately   見境なしに

committee   会議

cause   (主義や主張を伴う)運動

muffle   包む、包んで音などが漏れないようにする

centrifugal   遠心性の、中心から遠ざかっていく

unwittingly   知らずに (witting 知っていながらの)

seclusion   隔離、隔絶、隠遁

humble   つまらない、取るに足らない

weaving   weave  …を織る、編む


p.47
chauffeur   お抱えの運転手

diminish   減る、減少する

time-consuming drudgery  時間を食うつまらない雑用

approval   承認、認可

worship   礼拝

prayer   祈り

communion   ?


p.48
contemplation   黙思、熟考

counteract   中和する

distraction   気を散らすこと

contemplative  黙思する

readier   ready(準備ができて)の比較級

pursue   追い求める

illusory   人を惑わす、錯覚の

haven   嵐を避けるための港、避難所

the broom and the needles   ほうきと針


p.49
dissipate   浪費する

accumulation  蓄積したもの、堆積したもの

void   空白、空隙

centrifugal   遠心性の、中心から遠ざかっていく

William James   ウィリアム・ジェームズ(1842-1910年);アメリカの哲学者、心理学者

Zerrissenheit―torn-to-pieces-hood

perpetually   永遠に、ずっと

on the contrary   反対に、それどころか

prayer   祈り


p.50
Quaker   クエーカー

Plotinus   プロティノス古代ローマ時代の哲学者

St. Catherine of Siena   シエナの聖カタリナ


p.51
emancipate   解放する

compete with…   …と競争する、張り合う

seduce   そそのかす、誘惑する

abandoning   放棄

reign   統治、支配

wane   弱くなる、衰える

maturity   成熟

extrovert   外交的な

activist   活動家

intuitive   直観的な


p.52
fasten one's eyes upon…   …をじっと見つめる   

intact   そのままの形で、完全な

axis   軸

salvation   救い、救済



 DOUBLE-SUNRISE
p.55
halves   halfの複数形

bivalve   二枚貝

translucent   半透明の

hinge   ちょうつがい


p.56
unblemished   傷のない、汚れのない

fragile   壊れやすい、もろい

rite   儀礼

rebuff   好意・申し出などを〉すげなく断わる、はねつける

seagull   かもめ

weigh down   圧迫する

irrelevancies   無意味な、無関係なものたち

accumulation   蓄積したもの、堆積したもの


p.57
unencumbered   邪魔ものがない

discipline   訓練する、鍛錬する

ripen   熟す

mutuality   相互関係

debt   負債、借り


p.58
arduous   困難な

resent   腹を立てる

intensity   強さ、強度

accumulation  蓄積したもの、堆積したもの

blight   枯らす


p.59
absorption  没頭、夢中、専心

tranquil   静かな、穏やかな

interlude   幕間(まくあい)、合間

substitute   代用、代役


p.61
obscure   曇らせる、覆い隠す

impedimenta   荷物、邪魔なもの

reaffirm   再確認する


p.62
clogs up   動きや流れを悪くする


p.64
bred in the bone   持って生まれた、生まれつきの

crave   切望する、しきりに欲しがる

mutuality   相互関係、相互依存


p.65
temporarily   一時的に

valid   確かな、有効な

permanent   永続的な、恒久的な

imply   含意する

exclusion   排除、排他

exclude   排除する

clamor   要求する、叫ぶ


p.66
reward   報いる、報酬を与える

illumine   照らす

permanent   恒久的な、永遠の

expansion   拡張、発展

perpetually   永久に、絶え間なく


p.67
valid   妥当な

flawless   傷のない、完璧な flaw→flawless

hath   has の古い言い方

Donne   John Donne, ジョン・ダン(1572-1631年);イギリスの詩人

fleeting   つかの間の、はかない

Saturniid moth   ヤママユガ科の蛾*4



 OYSTER BED
p.72
humped back   こぶのある背中

sprawl   不規則に広がる

teeming   人でいっぱいの、混み合っている

play-pen   (格子で囲った)赤ん坊の遊び場、ベビーサークル

encrusted

accumulation  蓄積したもの、堆積したもの

tenaciously   粘り強く、しっかりと


p.73
midst   真っ最中・真っただ中

encroach  

pry   こじあける

ledge   岩棚

strand   より糸

taut   ピンと張られた

devotion   献身


p.74
rippling

loyalty   忠実、忠誠

interdependencies   相互依存

conflicts   対立

propinquity   時間、場所、関係などが近いこと

snap   ポキッと折る

substance   本質、実質、実体


p.75
intricate   複雑な、込み入った


p.76
accumulation  蓄積したもの、堆積したもの

weld   溶接する、結合させる

outmoded   時代遅れの、流行遅れの

fortress   砦、要塞

out-lived its function

atrophy   退化

outstripped

rigidly   厳格に

symmetrical   左右対称の

shed   (木から葉が自然と)落ちる、(動物・昆虫が)脱皮する


p.77
competitive   競争的な

cease   止める

compete   競争する

attainable   到達できる、達成できる

the belle of   〜で一番の美人

outlive

spear   槍、魚を突くやす


p.78
feverish   熱狂的な

terrific   凄まじい

emphasis   強調、重要視

belittle   低く見る、軽視する

prolong

overreaching

overstraining

adolescence   青年期、思春期


p.79
plateau   高原

presage   前兆となる、予示する

longing   憧れ、切望

decay   衰え、衰退

cure   悪いところを取り除く、直す

exorcise   悪魔を追い払う

annunciation   予告、天使のお告げ


p.80
encumbrance   邪魔なもの

clamp   固く締める、固定する

outgrow   大きくなって服が着られなくなる、成長してそれまでのものでは間に合わないようになる



 ARGONAUTA
p.83
creature   生き物

cradle   ゆりかご

argonaut   たこぶね

hatch   孵化する

fascinate   魅了する

temporary   一時的な


p.84
dwelling   住居、すみか

transparent   透明な

fluted like a Greek column   ギリシア神殿の柱のように溝が彫られている

narcissus   水仙

coracle   丸い小舟(編んだ骨組みに薄い外装を貼った、一人で担げる程度の船。円形の物が多い。)

fabled   伝説の、物語の (fable 寓話、物語)

Jason   イアソン;ギリシア神話の英雄

Golden Fleece   金羊毛;ギリシア神話に登場する秘宝


p.85
vessel   (大きな)船

well-tracked

chartless   海図に記載されていない、未踏の

ulterior   隠された、裏面の

transcend   超越的な、超越した


p.86
foresee   予知する

prophetically   予言的に

endeavor   努力、試み

two solitudes   二つの孤独(な存在)


p.87
come of age   成長する

undertaking   (引き受けた)仕事、事業

complex   複雑な

statistics   統計

nourishment   栄養

postponed   延期された、後回しにされた


p.88
swung   swing の過去分詞形

Victorianism   ビクトリア朝時代の厳格な道徳、価値観

extreme   極端

accomplish   成し遂げる

feat   偉業

aesthetic   美的な(もの)


p.89
rush to do…  急いで…する

masculine   男性的な

inevitably   当然、必然的に

tree-trunk   木の幹

meager   乏しい


p.90
correspondence   手紙、書簡

theoretical   理論上の

precedes   〜の先に立つ、〜の先に起こる

signpost   道標、道しるべ

path   小道

maze   迷路

convention   因習、しきたり

dogma   教義、独断的な意見

tentative   試験的な、仮の

count   価値がある、値打ちがある

seldom   まれに、めったに〜ない


p.91
come upon   出会う

glimpse   一瞥、一目見ること

brief   短い間の

insight   洞察

examine   吟味する、精査する

pluck   選ぶ to select or take (something) usually from a group, container, or place

illustrate   説明する

shed   (光などを)放つ、発する

illuminate   照らす、光をあてる

clue   手がかり

mythical   神話の

casuarina tree   モクマオウ(木麻黄)


p.92
shore   海岸

glisten   きらきら輝く

blessing   祝福

baptism   洗礼

tingling

stoop   段になっている玄関ドア前の小さなスペース この場合、前文の back porch の言い換え

with legs

bump   ぶつかる

chores   雑用

be drenched   浸かる、浸る


p.93
prick   刺す、苦しめる

chore   雑用   

errand   使い走り

sandpiper   シギ科の鳥の一種

articulation

soak up   吸い込む、吸収する


p.94
seaweed   海藻

sherry   シェリー酒

segmented

dwarf   小さくする

chill    怯えさせる、ぞっとさせる

sparks   火花

a bowl of stars

thirst for   渇望する


p.95
magnitude   巨大さ

universality

immensity   広大さ

interstellar   星と星の間の、惑星間の

matchlight   マッチの火

mammoth   巨大な

chaos   混沌

clue   手がかり、糸口

intellectual   知的な、知力の

deform   歪める

strangle   窒息させる、押さえつける


p.96

claims

temper   調節する、やわらげる

instinctively   本能的に

confidently   自信を持って、確信して

intricate   複雑な、込み入った

gay   陽気な、快活な

swift   素早い、即座の

check   抑制する、阻止する

unfolding   展開

be intertwined   もつれ合う、絡み合う


p.97
poise   バランスをとる

William Blake   ウィリアム・ブレイク(1757-1827年);イギリスの詩人、画家
hesitate   躊躇する

stumble   つまずく

cling   しがみつく

clutch   つかむ

exorcise   (悪霊を)追い払う


p98
pendulum   振り子

intimate   親密な

supreme   最高の

profound   深い、深遠な

chore   雑用


p.99
the bowl of stars

intimate   親密な

alternate   交互に行き来する

absolute   絶対の


p.100
hindrances   邪魔

constraints   束縛


p.101
anticipation   予期、期待

trough   波と波の間のくぼみ、波間の谷

mortal   命に限りある存在、人間

crystalline   水晶のような、透明な、結晶質の

shallow   浅瀬

wading   wade (川・ぬかるみ・雪の中などを)歩く

marble medallions   大理石のメダル

engrave   刻み込む


p.102
myriads   無数の〜

glistening   きらきらと輝いている

withdrawal   撤退

rumpled   乱れた、クシャクシャになった

valid   正当な、理由のある

recede   …から退く



 A FEW SHELLS
p.105
rumination   熟慮、熟考

clue   手がかり

bulge   膨らませる

cling to   くっつく、しがみつく

crevice   隙間


p.107
engagement pad  ?予定帳  


p.108
geographical boundaries   地理的な境界

restrictions on communication   通信手段が制限されていること

heron   鷺(サギ)

prey   獲物

cubby-holed hours

cram   詰め込む

instant   瞬間

whorl   渦巻き

scar   傷あと

dazzling   まぶしい、まばゆい

an artificial selection   人為的な選択

numerically   数量的に


p.109
driftwood   流木

fireplace   暖炉、炉

chore   雑用


p.110
circumference   周囲

occupation   職業

invariably   いつも、必ず valiable→valiably→invaliably

seclusion   隔離、隔絶

temporary   一時的な

confinement   閉じ込められた状態、監禁、幽閉

invigorate   活気づける、元気を出させる


p.111
monotonous   単調な、変化のない

hors d'oeuvre   オードブル、前菜

cope with   対処する、取り組む

submerge   覆い隠す、水中に沈める    

centripetal   求心性の、中心へと向かっていく

onslaught   猛攻撃


p.112
precept   教訓、教え

signpost   道標、道しるべ

sisal bag    サイザル麻 (メキシコ・中米産のリュウゼツランの一種) の繊維で作られたバッグ

inner integrity   内面的に満ち足りていること、内面的な自足

rumble   ゴロゴロ、ガラガラと低い音が鳴る

erupt   (火山が)噴火する、噴出する



 THE BEACH AT MY BACK
p.116
outermost   最も外側の、いちばん遠い

reverberate   反響する、鳴り響く reverb 反響、残響

implement   実行する、実施する、要求などを満たす

digest   消化する

public print

infinite    無限の

elastic   伸縮できる

with some scrambling


p.117
compromise   妥協

abstraction   抽象、抽象的概念

substitute   代用品

guarantee   保証

casualties   被害者、犠牲者


p.118
enormity   巨大さ

insatiable   飽くことを知らない

appetite   欲求、欲望

propel   推進する、駆り立てる propeller プロペラ

enamored of…   …に夢中になっている、心を奪われている  

perilous   危険に満ちた

appreciation   (価値や本質などを)よく理解していること


p.119
surrenderto〜   …を〜に明け渡す、引き渡す

from time immemorial   大昔から

spontaneity   自発性、自然さ

emphasize   強調する


p.120
worthwhile   価値のある

periphery   周縁、円の外周



 GIFT FROM THE SEA RE-OPENED
p.123
astonishment   たいへんな驚き

dim   かすむ

embarrassed   困惑させられた

my naïve assumption   私の素朴な仮定

liberation   解放


p.124
coming of age   大人になること

hindsight   後知恵、後になって初めてわかったこと

humility   卑下、謙遜、自分が他の人より優れているとは思わないこと *5

achievement   達成、偉業

tumultuous   混乱した、動乱の

validity   有効性、妥当性

sobering   酔いが冷める、真面目な気持ちになる

assassination   暗殺

conscience-searing   良心を枯らす

tremors   振動

not wholly defined by their popular labels
一般的に知られているその呼び名によっては十分に定義されていない


p.125
tide   潮

ebb   潮が引く

not sufficiently anticipated   十分には予想されていなかった

bleak   希望のない、勇気づけられない、寒々しい

honesty   正直さ

abandoned   打ち捨てられた

plenty   十分な量の多さ

vocation   (天職と言えるような)仕事


p.126
come to terms with…   …と折り合いをつける

recurring lesson   繰り返しやってくるレッスン

a grandmother and a widow   祖母でありまた未亡人である女


p.127
admiration   賞讃

astounded   非常に驚いた

efficient   効率的な、無駄がなく手際の良い、


p.128
creed   信仰

reveal   明らかにする、露わにする


p.129
over the back fence   フェンス越しに、垣根越しに

as they have done through the ages   昔から女性たちがしてきたように

arrogant   傲慢な、思い上がった




p.130
adolescence   青春期

enormous   巨大な
 
 

*1: 吉田訳でも落合訳でも 「駐車場」 と訳されているが誤り。「駐車場」 だと何故それが生活の煩雑さの一例として挙げられているのか理解できない。

*2: exaggerated の一般的な訳は 「誇張された」 であるが、それだと 「実際と違って」 ということになってしまう。辞書は exaggerateto make (something) larger or greater than normal とも説明しており、こちらの意味だろう。吉田訳の 「極端な形」 というのが妥当だと思う。

*3:吉田訳も落合訳も 「かたつむり」 としているが、「巻貝」 か 「巻貝の一種」 と訳した方が適当ではないかと思われる。

*4:成虫のヤママユガは口が退化していて餌をとらず、成虫になってからの寿命は一週間に満たないとされている。原文の綴りは Saturnid となっていて i が一つ少ない。

*5: humility は 「自分自身を高く見積もらない」 ということであって、「他の人や物事を高く見積もらない」 ということではない。「控え目にみて〜」 という落合訳は間違い。 辞書は the quality or state of not thinking you are better than other people と説明している。

   落合恵子 クレヨンハウス


落合恵子プロフィール:
1945年1月15日生まれ、栃木県宇都宮市出身。1967年に明治大学文学部英米文学科を卒業。同年、株式会社 文化放送に入社する。若者向け深夜ラジオ番組 「セイ!ヤング」 などのディスクジョッキーを担当し、レコードまで出される程のほとんどアイドル的とも言える人気を得た。文化放送在職中、1971年に新書館より詩とエッセイを集めた『おしゃべりな屋根裏部屋』が最初の著作として出版され、1973年に『スプーン一杯の幸せ』が祥伝社より出版される。
1974年に文化放送を退社し、本格的な作家活動に入る。著書、訳書など多数。また作家活動と並行して1976年には絵本や児童書の専門書店 「クレヨンハウス」 を東京の青山に開いた。近年では講演やTV番組のコメンテーター、雑誌『週刊金曜日』の編集委員などの活動などを通じてもその名前が知られている。