補遺3 文脈を考えずに間違った翻訳をする

 
以下は落合恵子の訳。文脈がちゃんと読めていないからこんな訳になってしまう。

たいていの人たちは、中年と呼ばれる年代になる前に、社会で自分の椅子を獲得しようとするか、その闘いをやめてしまうかのどちらかである。そうなると、暮らしとか家とか、さまざまな人間関係とか、物質的な豊かさだとか、貯め込むことなどへの強い執着は、自分や子どもたちが生きるために闘っていた時代ほど、必要でなくなるはずである。 (p.88)


吉田健一訳は以下の通り。

大概のものは、中年になる頃までには社会で或る程度の地位を得るか、或いはそれを得ようとするのを止めるものである。そうすれば、生活とか、場所とか、他の人間とか、或いは環境とか、持ちものとかに対するあの恐ろしいくらいの執着は、自分や自分の子供たちが無事に暮らせるために努力していた時代ほどは必要でなくなるはずではないだろうか。 (p.83)


原文はこうなっている。

Most people by middle age have attained, or ceased to struggle to attain, their place in the world. That terrific tenacity to life, to place, to people, to material surroundings and accumulation―is it as necessary as it was when one was struggling for one’s security or the security of one’s children? (p.75,76)


原文を適切に訳しているのはもちろん吉田健一の訳文である。
最初の英文の骨子は、「大抵の人は中年になる頃には、社会における或る程度の地位を既に得ているか、そうでなければもうそれを得ようとはしなくなっている。」 ということだ。完了形の英文を 「獲得しようとする」 などと訳したおかしな落合の訳文では、その後の 「執着は必要でなくなる」 という文章とも意味がうまく合わなくなってしまう。