第22回 新しく書き加えられた章の翻訳は間違いだらけデタラメだらけ

 
落合恵子による新訳の『海からの贈りもの』には、原著が出版された20年後の1975年に著者アン・モロウ・リンドバーグが新たに書き加えた章も収められている。落合はその訳者あとがきにおいて、この新しい章を日本の読者に伝えたいと思った、それが翻訳を進めるモチベーションの一つだったと述べている。*1
 
さて、これ以前の章には吉田健一による旧訳があるので落合はそれを利用して訳文を作ることができたのだが、この章だけは “お手本” が無い状態で翻訳に取り組んだわけである。恐らくそのせいだろう、この新しい章の翻訳は他と比べて間違いが飛び抜けて多い。この章は原文で7ページほどのごく短いものなのだが、その短い訳文が間違いだらけだと言っても言い過ぎではない。しかも至って簡単な英語表現の翻訳においてすら落合は間違えている。

また原著英文の意味とかけ離れているというだけでなく、単に日本語文として見ても意味不明な文章が幾つもあるのだが、仮にも作家でありながらそういう意味の通らない稚拙な文章に対して疑問も抱かずにいられることが不思議でならない。( さらに言えば、こうした意味の通らない不出来な訳文を見過ごしてそのまま世に出した担当編集者の仕事にも大きな問題がある。)

そして何より、この章は比較される吉田訳がないからばれる心配もないと調子に乗ったのか、落合恵子が自分のフェミニズムの立場に都合が良いように原文を歪めたデタラメな翻訳が次々と現れる。ごく簡単に言うとこの章の翻訳は、「この20年女たちは素晴らしい勝利を収めた。だがこれからが本当の闘いだ。」 という実に落合らしい主張へと歪められている。
 
かつて落合による新訳が書店に並んで間もない頃、この新しい章の訳文を少しばかり読んだことがあるのだが、20年という年月を経て著者アン・モロウ・リンドバーグの思考や言葉がすっかり硬直してしまったかに思えて、非常に残念な印象を受けて本を閉じたことをよく覚えている。しかし今回あらためて原文と比較して読んで、その残念な印象は落合恵子の “しなやかな感性”による 翻訳のせいだったということが判明し、ようやく安堵することができた。そしてまた同時に落合に対する怒りは一層強いものになった。

 
次よりその翻訳の問題点を取上げていく。
 
 
 

*1:「それでも敢えて翻訳をすすめたのは、七〇年代に、著者アン・モロウ・リンドバーグによって新しく書き加えられた一章を、わたしと同じようにこの本を愛してきた読者に伝えたいという思いがあったから」 などと落合はいかにも誠実そうでもっともらしいことを語っている。だが実際のところ、落合によるその新しい章の翻訳は全くデタラメと偽りだらけの、アン・モロウ・リンドバーグの言葉を歪めたものでしかない。気づかずに間違えて訳してしまったのとは違うのだ。落合は言っていることと実際にやっていることが全く違っている。言うこととすることが裏腹な人間のことを 「嘘つき」 と言う。