第25回 「革命と社会運動の足音」とはどこの国の話か

 
どうも落合恵子はよほど革命が好きなようだ。

そうして、すべてのわたしたちは、革命と社会運動の足音を聞いた。その中の多くは、かならずしも全体的な意味においては、あまり認知された運動とは言いがたいが、いまもって前進を続けている。(p.146)


原文は以下の通りである。

All of us have been swept forward by the ground swells of revolutionary social movements, most of them still in progress and not wholly defined by their popular labels. (p.124,125)


「すべてのわたしたち」 という奇怪な日本語がもう何とも困った代物で指摘せずにはいられないが、まず 「革命と社会運動の足音を聞いた」 という訳が原文とまるで違っている。加えて 「〜の足音を聞いた」 という遠回しで曖昧な表現で落合は何を言おうとしたのか全く理解することができない。 原文がちゃんと理解できず明確に説明できない場合、曖昧な比喩表現を用いて誤魔化そうとするのは落合恵子の悪い癖だ。 *1
原文の大意は 「革命的な社会運動の大波」 によって 「前方に押し流された」 である。また原文の表現は 「革命的な」 であって、実際の 「革命」 ではない。「革命的な社会運動」 と訳すべきところなのに落合はそれを 「革命と社会運動」 という全く意味の違う訳文に変えてしまっている。「革命的な社会運動」 と 「革命と社会運動」 は全く別の事態だ。どうやら落合は 「革命」 という言葉がいたくお気に入りらしく、落合のこのような訳文のせいで、あたかもアン・モロウ・リンドバーグが現実の社会での革命に期待を寄せているかのような印象を与えてしまっている。


その次の 「全体的な意味においては、あまり認知された運動とは言いがたいが、」 という変に難解にした訳文も全く間違っている。
落合の訳文は日本語としても不自然で意味を読み取ることが難しい出来だが、この英文は最後の 《labels》 をそのまま 「ラベル」 と解することができれば簡単に読み解ける。「ラベル」、要するに外から貼り付けられた呼び名、通り名のことであり、そういった通称ではこれらの運動の本質を言い表すことはできない、というだけの話だ。アン・モロウ・リンドバーグが言っているのは、運動が世の中から認知されているかどうかという話ではない。
また 《still in progress》 は、運動は現在も力強く前進を続けていて頼もしい、というような( 落合が望んでいるであろう )意味合いではなく、 「まだ発展の途上で(見定められない)」 といった意味合いに解さなければその後の文章と整合しない。
 
大意は以下のようなものだろう。


それらの運動の多くはまだ発展の途上であるし、また一般的に知られているその呼び名によっては充分に定義できない。
 

あるいは、
それらの運動の多くはなお発展の途中であり、また一般的に知られているその呼び名によって充分に言い表されているわけではない。
 
 
 

*1:「〜の足音を聞く」 という比喩は、迫り来る出来事の予兆を感じるという意味で普通は使われると思うのだが、ではこの場合、単にその 「足音を聞いた」 というだけなのか、実際にその出来事が訪れたというのか、落合の文章は曖昧模糊としていて全く不可解である。