第28回 「祖母の世代や夫を見送った女」という意味不明な翻訳

 
落合恵子は 「祖母の世代や夫を見送った女」 などという意味のわからない日本語でいったい何を言おうとしたのだろうか。

祖母の世代や夫を見送った女が、いままさに牡蠣のベッドにいる新しい世代の女たちに何を伝えることができるだろう。
まずは、賞賛、である。(p.149)


原文は以下の通りである。

What then has a grandmother and a widow to give the new generation of women in the oyster bed? Admiration, first of all. (p.126,127)


この英文を訳すなら大体このようになるはずだ。
では今や祖母となりそして夫にも先立たれた私が、今まさに「牡蠣のベッド」の段階にいる新しい世代の女性たちにいったい何を贈ることができるだろうか。何より賞賛である。


この英文の主語は著者アン・モロウ・リンドバーグ自身であって、《a grandmother and a widow》 が意味するのは 「祖母であり、そして未亡人である私」 ということだ。「牡蠣のベッド」 という言葉は人生のある時期を比喩的に表現したものであり、ここの大意は、「すでに子供たちは独立し夫も亡くした、そのような境遇の私が、今まさに夫と共に子供を育てている最中の現代の女性たちにいったい何を贈ることができるだろうか」 ということに他ならない。

落合は 「祖母の世代や夫を見送った女」 などというわけのわからない訳文でいったい何を言ったつもりだったのだろうか。さっぱり意味がわからない。唯一わかるのは、このフェミニズム作家はとにかく 「未亡人」 という言葉が嫌なので 「夫を見送った女」 と表現を工夫した、ということくらいだ。

落合の訳文を苦心して解釈すると、(祖母の世代や夫)を見送った女、という形になるか、(祖母の世代)や(夫を見送った女)、という形になるかだが、どちらにしたところで結局まともに意味を読み取ることができない。だいたいなぜ 「世代」 という訳語がここに引っぱり込まれるのか。どうも落合には訳文の辻褄が合わなくなると勝手に言葉を追加して誤魔化そうとする悪癖がある。

 
また二行目の 《Admiration, first of all.》 を 「まずは、賞讃である。」 と落合は訳しているが、結局その後の訳文で 「賞賛」 に続く次のことに全く触れていないので、この 「まずは」 という訳語も全く適切でない。
幾つか順に挙げていく事柄がある場合に 「まずは」 と切り出すものだ。もちろん原文で言われていることは 《Admiration》 の一つだけである。 「まずは、」 とあるから当然読む側は 「その次は」 と意識しているのに、結局その次が出て来ないままだから、落合の訳文は読者を混乱させる読みにくい文章になってしまっている。幾つかある訳語の候補の中から適切とはいえないものを選んでいるというだけでなく、何より読者の理解を混乱させるという点で落合のこの訳語の選択は駄目だ。