第13回 そんなに男が憎いのか

 
落合恵子訳は以下の通り。「攻撃力」などというデタラメは一体何のことだ。

外に向かうエネルギーも人間にはなくてはならないものだが、それを追求した男たちのやりかた、攻撃力は、現在、問題の解決には用をなさなくなっている。(p.58)

 
吉田健一は同じ箇所を以下のように訳している。

男の外的な力も人間になくてはならないものであるが、その男の世界にも純粋に外的な力や、問題の解決の仕方は今日では用をなさなくなりつつある。 (p.56)

 
そして原文は以下の通りである。
落合の頭は一体この英文のどこから Gift from the Sea という作品と全くそぐわない 「攻撃力」 などという馬鹿げた言葉を思いついたのか。

This outer strength of man is essential to the pattern, but even here the reign of purely outer strength and purely outward solutions seems to be waning today. (p.51)


そのすぐ後の訳文。 先のとは全く違う英語であるのだが、落合はこれにも同じように 「攻撃的」 などと異常な「翻訳」を行っている。

現代の、外側にエネルギーを発散させるだけの、攻撃的で、即物的な欧米の男たちが、(p.58)

 
これの原文は以下の通りである。

modern extrovert, activist, materialistic Western man (p.51)
 
落合が 「外側にエネルギーを発散させるだけの」 と全く否定的に訳した 《extrovert》 は、「外向的な」 あるいは 「外向的な人」 という意味である。 また activist という言葉も、どうひねって解釈をしようとも 「攻撃的」 などという意味ではない。*1
 
吉田健一の訳文は以下のように適切なものである。

現代の外向的で行動的な、唯物論的な欧米の男が (p.56)

 
この吉田訳を一度ならず読んでいるというのに、落合恵子の頭からはあのような歪んだ異常な訳文が生み出されてしまう。
落合の翻訳ではまるで最低の男たちであるかのようだ。「外側にエネルギーを発散させるだけの」 などと、何の恨みがあるというのか。一体どういう思考が 「攻撃力」 だの 「攻撃的」 だのといった根拠のない妄言をこの英文から思いつくことができるのか。そしてなぜ思い止まることなくそんなデタラメを実際に書いてしまうのか。

「攻撃的」 なのは落合自身ではないか。
 
 
 

*1:activist とはむしろ落合にこそ相応しい言葉だと思うが。