第26回 フェミニズムの成果を誇張して翻訳する

 
落合恵子訳は以下の通り。まさか公民権運動を知らないとでも言うのか。

そういった運動の中でもっとも重要だと思うのは、市民の権利にかかわる運動、わたしたちがカウンターカルチャーと呼んでいるもの、女性解放運動、そして環境問題などである。そして、それらの活動の中で、女たちが多大な影響力を持ったことは特筆すべきことだ。それらの運動に 「女の……」 という名が冠されていない三者公民権の運動カウンターカルチャー、環境問題 )においても、女たちは自分たち自身の運動であると認識してきた。(p.146)


まず、後半の文章では一応 「公民権の運動」 と訳しているのだが、一体何が狙いなのか前半の文章では 「市民の権利にかかわる運動」 などと、原文を都合良く歪曲した全く異常な翻訳になっている。*1 こう書かれていれば、読者は現代の日本社会での市民運動のようなものを想像してしまうだろう。だが原文は 《the Civil Rights movement》 と、the が付いて最初の文字も大文字で表記されているのであり、もちろんこれはアメリカ史の中の出来事である公民権運動のことを指しているのに決まっている。要するに1950年代から1960年代のアメリカで拡がった黒人の人権に関する運動のことだ。落合が関心を寄せる日本の市民運動の話ではない。


原文はこの通りである。

Among those the most important seem to me to be the Civil Rights movement, the so-called Counter-culture, Women's Liberation and the Environmental Crisis. ( It is interesting to note that women has taken as influential a role in the three movements which do not bear her name as in the movement she calls her own.) (p.125)
 

次に、引用した原文を読めば判るように 「女たちは自分たち自身の運動であると認識してきた」 に相当する英文はどこにも無い。せめて好意的に解釈すると、落合は英文読解力の低さを持ち前の「しなやかな感性」で補って、《the movement she calls her own》 という英文を自分の都合の良い方に誤って解釈してしまったという辺りだろうが、これはそのような意味ではない。ここの英文は 《as in the movement she calls her own》 という区切りで読むのであって、 「女性たちが我々のものと呼ぶ運動( つまりは女性解放運動 )においてと同様に」 と解するべきところである。それを落合は、女性たちは他の三つの運動も自分たち自身の運動だと認識してきた、と歪めている。

また落合恵子は原文にあった( )を外して訳し、「女たちが多大な影響力を持った」 を主文に変えてしまっている。結果として、原文に比べると女性の活躍ぶりをずっと強調した( フェミニズムの“戦果”を強調した )文章に変えられている。だが原文の中心は、なかでも重要なのはこの四つの運動である、という文章であり、その後の文章は( )内に書かれた補記に過ぎない。
この短い英文が、女性たちの意識やフェミニズムの成果はこうでなければならないという落合の願望によって、このように歪められている。
  
試みに訳してみたものを載せる。
これらのなかで最も重要だと思われるのは、公民権運動、いわゆるカウンターカルチャー、女性解放運動、それに環境運動である。( 女性たちが自分たち自身の運動と同様に、「女性」 の名を冠していない他の三つの運動においても重要な役割を担ったことは重要なことであり、これを指摘しておきたい。)
 
あるいは、 
これらのなかで最も重要だと思われるのは、公民権運動、いわゆるカウンターカルチャー、女性解放運動、それに環境運動である。( 女性たちが、「女性」 の名を冠していない他の三つの運動においても、自分たちの運動においてと同様に影響力のある役割を担ったことは重要なことであり、これを指摘しておきたい。)

この程度の意味ではないか。
 
それからもう一つ言っておくと、この 《the so-called Counter-culture》 という表現は 「いわゆるカウンターカルチャー」 、つまり 「世間がカウンターカルチャーと呼んでいるもの(必ずしもそれが適切な呼び名だとは思わないが)」 という意味あいなのであり、落合の 「わたしたちがカウンターカルチャーと呼んでいるもの」 という訳は著者が意図しているものと逆の意味になってしまっていてまるで的外れな読解である。
 
 
 

*1:もちろん落合が公民権運動を知らないわけがない。わかっているのにある意図をもって敢えて 「市民の権利にかかわる運動」 と書き変えているのだ。