第2回 全くありえない「柔軟性」という訳語

 
落合恵子の『海からの贈りもの』は最初からこんなデタラメな訳文が出てくる。
この作品で重要な意味を持つ言葉を、落合は全く違う意味の言葉に書き変えてしまっている。

砂を掘り返して宝を探すというやりかたは、せっかちであり、欲張りであり、さらには自然への配慮のない行為である。
海は、柔軟性こそすべてであることを教えてくれる。柔軟性と、そして率直さ。(p.13)


それに対し、吉田健一による訳文は原文に従った適切な翻訳になっている。
吉田訳に親しんでいたという落合も、当然これを参照しているはずなのだが。

地面を掘りくり返して宝ものを探すというのはせっかちであり、欲張りであるのみならず、信仰がないことを示す。忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。 (p.15)


そして原文は以下の通りである。

To dig for treasures shows not only impatience and greed, but lack of faith. Patience, patience, patience, is what the sea teaches. Patience and faith. (p.11)


まず落合が 「柔軟性」 と訳した原文は 《patience》 であり、意味は 「忍耐・辛抱強さ」 である。
また 「率直さ」 と訳された原文は 《faith》 で、意味は 「信念・信仰」 である。
さらに 「自然への配慮のない行為」 などと訳されている 《lack of faith》 は 「信念・信仰の欠如」 といった意味である。
落合が選んだ訳語はどれも全くありえないものであり、できることならこんなデタラメなものに翻訳とか訳語とかいった言葉を使いたくもない。

なかでも原文で著者が3回も重ねて強調している 重要な 《patience》 という言葉に対して、全く意味の違う 「柔軟性」 などという訳語を当てるなど、落合は一体どういうつもりなのか。*1 原文はごく簡単な英文であり、その上落合も何度も読んだという吉田健一の訳文もある。もちろん間違いでこんな訳文ができるわけがない。原文とまるで意味が違うことは当然知っていて落合はこのようなデタラメな訳語を当てているのだ。「柔軟性」 だの 「率直さ」 だのと言うのは落合自身の価値観でしかない。落合は著者の言葉を蔑ろにして、勝手に自分の価値観を訳文に紛れ込ませているのであり、全く認めがたい愚行であると言わざるを得ない。
それに著者の原文は 「柔軟性こそすべてある」 などという脈絡もない極論を出し抜けに言い出すようなおかしな文章ではないし ( なぜ 「柔軟性がすべて」 だという帰結に突然なるのか)、「柔軟性こそすべて」 だと断言したばかりなのにその直後に 「そして率直さ」 などと追加をするような間抜けな文章でもない。

そのうえ落合は 《faith》 という単語に対してはこれまた 「率直さ」 というデタラメな訳をしておいて、しかもそれを含む 《lack of faith》 という表現に対しては 「自然への配慮のない行為」 などという更にデタラメなとんでもない訳を当てている。 《lack of faith》 というのは 「《faith》 の欠如」 という意味であるのだから落合の先の訳を当てはめれば当然 「率直さがないこと」 とでもなるはずだ。「率直さ」 とやらはどこに消えたのだ。「自然への配慮」 などという原文と一つも結び付くところのない言葉は一体どこから出てきたのだ。
こんな愚劣なものは誤訳とすら呼べない。

長年の愛読書とまで呼ぶ著作に対して落合恵子という人間はなぜこんな愚かで無礼な行為ができるのか、全く理解することができない。ただ一つ理解できるのは、こんなことは大した問題ではないと落合は考えているということだけだ。*2 「自然への配慮のない行為」 だの何やら立派そうなことを言っているが、落合恵子に著者アン・モロウ・リンドバーグの言葉への配慮というものは無いようだ。


《patience》 に 「柔軟性」 という訳語はどう考えてもあり得ない。
 
 
 

講談社英語文庫版。安価で買いやすく、また巻末の注釈もあって便利な本だが、注釈に幾つか誤りが見られる。現在は品切れの様子。
 
 
 

*1:《patience》 は著者が結びにおいても記している言葉であり、この著作の重要な言葉の一つである。気まぐれに記された言葉などではない。もちろん落合が好き勝手に書き変えて良いような表現ではない。

*2:落合は訳者あとがき (p.158) で次のように語っている。「これほど好きな『海からの贈りもの』を、あらためて翻訳すること……。それは二十数年来の読者であるわたしにとって、」