第5回 一休み  「にし貝」 ‐ 《Channeled Whelk》

 
旧版の新潮文庫の『海からの贈物』は表紙のデザインが全く抽象的なものであったし、また文章からも、著者を思索へと導いた貝が実際どのような姿であったのか、その具体的なイメージを得るまでには至らなかった。
現在の新潮文庫の表紙は写実的な貝のイラストが描かれた新しいデザインとなり、また落合訳の『海からの贈りもの』にも簡単な貝のスケッチ画が載っているのだが、どちらも特に説明があるわけでもなく、それらが作品に出てくる貝なのかどうか知ることはできない。
しかし昔から考えれば信じられないほど画像を探すことが容易である現在、座したままに文中の貝の姿を探ることができる。以降、そうして見つけたそれらの貝の写真も時々に紹介していく。
掲載していく貝の写真は文中と同じ名前同じ種類のものであるとはいえ、生息場所とか個体の成長度合いとか更に細かい分類とかで違いがあることも考えられるので、これらの写真が著者アン・モロウ・リンドバーグがかつて手にし目にした貝の姿にどれほど近いものであるかはわからないが、作品により近づくための一助にはなるだろう。  
 
 

Channeled Whelk *1  
 
《Channeled Whelk》吉田健一訳では 「ほら貝」、落合恵子訳では 「にし貝」 となっている。
だが日本語で言う 「ほら貝」 は著者の描写と大きく異なるものであるし、また 「にし貝」 を調べてみても簡素な美しさというのとはだいぶ違った様子の物が出てくる。*2
 
《Whelk》 というのはこの類いの貝の総称であり、 《Channeled》 というのは、 《channel》 が掘られた、 「水路が掘られた」 という意味のようだ。*3 この写真では上面の様子がややわかりにくいのだが、渦の巻きに沿って溝が深く刻まれているような形状になっている。しかし意外なことに、著者はこの貝の一番の特徴とも言える深い溝のある形状については全く触れていない。
渦巻きはバイオリンの頭部のようでもあり、またギリシャ神殿の柱頭の装飾のようにも見える。言い換えるなら渦巻きの辺りは人工の構造物を思わせると言ってもよい形状を成していて、著者はそこに螺旋階段を見た。
 
原文では貝の姿がこのように描写されている。

Its shape, swelling like a pear in the center, winds in a gentle spiral to the pointed apex. Its color, dull gold, is whitened by a wash of salt from the sea. Each whorl, each faint knob, each criss-cross vein in its egg-shell texture, is as clearly defined as on the day of creation. (p.16)


洋梨のように中央が膨らんで渦が先端に向かって緩やかに巻き上がり、突起はごく小さく、卵の殻のような表面には筋が縦横に走っている、というように描写された貝の実際の姿を理解することができる。
 
 
 

*1:写真はSeashellGuide.com http://www.mitchellspublications.com/guides/shells/articles/0026/より。色々な貝殻の美しい写真を多数見ることができて楽しい。こちらの Patricia B. Mitchell という方はアメリカの伝統的食文化の研究家と説明するのが適当だろうか。

*2:「ほら貝」 に相当する英語であれば Triton だろう。

*3:他にもPear WhelkLightning WhelkKnobbed Whelk といった仲間が見られる。