第11回 《haven》を「天国」と訳してしまう

 
落合恵子の訳文はこのようになっている。

わたしたちを気分転換や空しい情事に駆り立てたり、病院や医師の診察室といった一瞬の天国に追い込む一因となっている。 (p.55)


原文は以下の通りである。

pushing us into more and more distractions, illusory love affairs or the haven of hospitals and doctor's office. (p.48)


まずきわめて初歩的な間違いから指摘する。《haven》「ヘイヴン」は「天国」ではない。「天国」は 《heaven》「ヘヴン」だ。
落合は 《haven》 「避難所、嵐を逃れるための港」 と 《heaven》 「天国」 を取り違えている。
だが 「一瞬の天国に逃げ込む」 ならまだしも、「一瞬の天国に追い込む」 という支離滅裂な日本語では何を言っているのか意味が理解できない。それに 「一瞬の」 というような表現はそもそも原文には全く存在しない。
おそらく、「わたしたちを病院や医師の診察室といった天国に追い込む」 という訳にすると「天国に追い込む」が文章としてあまりにもおかしいので、落合は原文に存在しない 「一瞬の」 という言葉を付け足してどうにかしようと考えたのだろう。
もし落合に言葉に対する注意深さがもう少しあったならば、全て自分の力で訳したにしても誰かの下訳を使ったにしても 「わたしたちを天国に追い込む」 という訳文を得た時点で、さすがにこれは変だと考えて英文を読み直し誤読に気づけたのであろうが、結局それには思い至らず 「一瞬の」 という言葉を付け加えることで誤魔化そうとしたのだと言えよう。
あるいは、これは 《haven》《heaven》 を単に見間違えただけではないかといって擁護する見方もあるかもしれないが、そこを読み違えたまま不自然な訳文をこしらえて一向に気にならないのであるから何にせよ落合が言葉や文章に鈍感であることには違いがない。
 
次に、確かに辞書にはそういう説明も載ってはいるが、この 《distraction》 を 「気分転換」 としているのも全く不適切な訳である。この訳語の選択から、仮に落合恵子が原著を読んでいたのだとしても大して読んでいないということが判る。
「気分転換」 というのはしてはいけないことだろうか。落合は 「気分転換」 と 「空しい情事」 を同列に並べて何かおかしいとは感じなかったのだろうか。気分転換というのは別に悪いことや後ろめたいことではないだろう。
もちろん著者は一時のごまかしでしかないものとして否定的に 《distractions》 以下を記している。原文に 《more and more distractions》 とあるように、満たされることがないのに空しいその場しのぎをさらに重ねてしまう、という否定的な意味合いである。
《distraction》 はこの著作で著者が否定的な意味合いで繰り返し何度も用いている重要な概念である。ここでも決して好ましい意味合いでは用いられておらず、「気を散らしてしまうこと」 という否定的な意味合いで用いられている。この場合は 「一時的に気を紛らわすこと」 や 「つまらない気晴らし」 といったところだろう。
  

ここを吉田健一は「更に多くの気散じの手段」と適切に訳し、また 《haven》 はあえて省いて自然な日本語にしている。

それが私たちを更に多くの気散じの手段、或いはかりそめの恋愛、或いはまた病院や医者の診察室に追い込む原因の一部にもなっているのである。(p.53)